価格へのこだわり

オーダーだから、価格と希望の折り合いの工夫ができます

予算や希望のデザインがぼんやりとでもある場合

ご予算と希望を最初にお知らせ下さい。ご希望の予算と希望される内容の実現が難しかったり、バランスが悪い場合は、予算優先、希望のデザインや品質優先のいくつかのパターンをご案内しますので、お客様が満足して選べる方法を一緒に探しましょう。

作りたい、欲しいけれど、特に希望が浮かばない、何がいいか判らない場合

特に希望がないという場合は、ジュエリーアイテム(ペンダント、リング、イヤリング、ピアス、ブローチ、ピン、ネクタイピン・・・など)の選び方、身に付ける場面や、相場の概要などを説明した上で、一番欲しいと思えるものを一緒にお探ししてご提案させて頂きます。お問い合わせはお気軽にどうぞ。

最低価格

ジュエリー、宝飾品は、プラチナ、ゴールド、シルバーなど貴金属を使いますため、時価となっておりますが、以下を大体の目安に参考になさってください。(2017年3月現在)
・シルバーのシンプルなもので1~2万円代から
・プラチナ、または18Kゴールドの小さくシンプルな商品で3~4万円程度から

コストパフォーマンス

本当によいお品とは

当工房では、無駄を省いた上で「ジュエリー・宝飾品としてのよい作りと、良いデザインで、かつ適正でコストパフォーマンスが高い」という製品、商品をご提供いたします。

一般的には、価格重視・価格優先のケースでは「安く、それなりにコストパフォーマンスの良い商品」を、というのが実現可能な、最低基準ではないかと考えています。

単に言葉の使い方として誤解に過ぎないのかもしれませんが、「良いお品を、安く」、これは特にオーダーでは、ジュエリーに限らずどのジャンルでも不可能だと、ぜひご理解ください。

「良いお品」というのは、相応の技術と、相応の材質・品質と、相応の長く価値を持たせるための知識が必要なため、コストパフォーマンスは良くできても、安いお品ではありえません。基本的な矛盾を、うっかり誤解されませんように、改めて整理してぜひご理解ください。

長く身に付けるほど、良いお買い物をしたものだな、と選択眼に自信と誇りが持て、コストパフォーマンスが高くなっていく、単にお安い商品との違いがさらに絶対的な確信と納得になっていく、それが当工房の目指すいいお品だと考えています。

「よいお品」にこだわる理由、ジュエリーにはお客様の格が明確に出てしまう

20代以降、誕生日会や発表会、講演会、結婚式や式典、祝賀会、華やかなパーティー、などなど、格の高い場所に行ったり、目上の方や、目利きの方とお会いする場面というのが、年齢と共にどんどん増えてくるのではないでしょうか。

若いうちはいいのですが、結婚したり、30代も半ばが近づいてくる頃から、そういう場で、持っている物、身に付ける物の品質と、それを選ぶものの考え方や、価値観を自覚したり、学んだりして、身に付ける物への総合的な審美眼が徐々に高くなってくると思います。

そうした、格が出る場だと顕著にでると思うのですが、ファッションやマナーに関しては、差はあるものの、世間一般の審美眼のレベルという意味では、一般的なジュエリーに対する審美眼のレベルよりは、ずっとずっと高いと感じています。

私自身も、いまだにその審美眼を高める渦中ではありますが、特にジュエリーに関して、全般的に相当な後進国だなとひっそりと思っています。私自身も含めて、作り手、提供する側も本当に磨かないといけないと、強く思います。

ジュエリーの選択眼には残酷なぐらい、人柄・品格・価値観が出すぎてしまう

品質というのは、単にモノの質ではなく、選ぶ人の品格・価値観、人柄がまるごと出るもので、年齢を重ねるほど、それが顕著になってくるものだと思います。

ジュエリー、宝飾品は、本当に王侯貴族が特別に身に付けるものから、ごく平凡な階級の普通の人が気軽に日常的に身に付けるものまで、幅が広いものなので、選択眼と資金力には残酷な位、差が出るものです。

資金に限りはあっても、場面に相応しいジュエリーを身に付けているかどうかには、洋服以上に選択眼がはっきりと出てしまいます。

とはいえ、例えば卑近な例で恐縮ですが、私のようにごく平凡な人間が普段身に付ける場合に限って考えても、単に高いものが良いのではなくて、価格に相応しい良さを知っていること、それを場面を選んで身に付ける感性があることが重要なのではないでしょうか。

年齢を重ねるほど、また華やかな場や格式のある場に出る機会が多いかたほど、そうした知性・感性は、人が相手を理解するときに重要な要素となっていくと思います。

そういう眼をもって一点の品物、一点のジュエリーを選べるかが、その人の価値観や社会性としてイコールで直観的に判断されてしまう、ある意味怖いものではないでしょうか。

場面とモノを選ぶ知性と感性が問われるからこそ、ひとつのジュエリーにメッセージを語らせる

お祭りや、場のコンセプトによっては、きちんとしたものは必要ないというよりは、遊び心がないつまらない人に見えてしまうこともありますし、一方で、格のある場所では、相応しいレベル感のあるものではないと、見た目以上に身に付ける人自身の価値観が貧相に見えてしまって、とても残念なイメージになってしまいます。

私自身も、そういう痛い失敗は沢山していますから、特にジュエリーでそういう失敗をお客様にさせたくありません。

カジュアルな場面に相応しい、手ごろな価格のコストパフォーマンスの良い半貴石を使っていても、シンプルなデザインでも、フォルムや仕上げ、細部にこだわることで(着けていくのが格式の高い場でなければ)、眼のある方だな、感性があって、モノの価値を知っている方なんだな、と無言のうちに判る方には判ってしまう、知られてしまうということがあります。

ジュエリーは黙ったまま、強烈なメッセージを発信しているものなので、キャッチできる感性がある人ほど、そのメッセージを確実に読み取るものだと、経験的に実感しています。

ジュエリーは、細部が強烈に語ってしまうのです

ジュエリーは、貴金属、つまり光を強く反射する「金属」でできているので、0.01ミリレベルの、ほんのちょっとした、厚みや、曲面、エッジの処理、模様の入れ方、深さで、表情がまったくかわり、ジュエリー全体のもつ雰囲気がガラッと変わってしまいます。

繊細なアクセサリーが好まれる日本ですが、作り手と選び手のフィロソフィー、価値観と選択眼を問われるジュエリーを身に付ける場面では、外見の装飾的な品質に留まってしまうアクセサリーは相応しくないのと同じように、貧弱な作りのジュエリーを繊細だと勘違いしてしまっていると、本当に残念ですし、私には無念でさえあります。

特に、日本ではジュエリーに慣れていないかたが多く、逆にジュエリーがきちんとしているかしていないかで、遊び心やスタイルとしての抜け感なのか、単に品質を知らない、知性・感性が薄い人に見えてしまうかがはっきり出てしまうように思います。

作り手・提供側ができる、品質=品格のコントロール

作り手側にそういう視点と感性がないとそもそも作れませんし、ほんのちょっとの厚みやまるみの差や、作りの統一感で、繊細か貧弱か、ジュエリー自身の持つ格がはっきりと分かれてしまいます。

場面と品物の選び方のメリハリがあるかたは、文化やマナーへの理解や思いやり、知性の深みを感じて、とても魅力的に見えますよね。

格が必要な場で、貴金属と宝石を使ってできていればいい、という位の感じに見えてしまうジュエリーひとつで、根本的に雑な知性と感性の持ち主だと誤解されることがないよう、また、普段使いや遊びの場では相応しい遊び心で楽しむことができるように。

そういった知性・感性を物語れるデザインと作りのジュエリーであることも、品質に含まれていると考えています。品質=品格のコントロールができる作り手でないといけないと、常に考えています。

お客様が多く身に付けられる場面に合わせて、アドバイスとお品の提供をしてゆけるように、私自身も常に磨いていきたいと考えています。


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です